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 仏教手習い草紙Vol,104

 甘露(かんろ)

 お釈迦さまが生まれたとき、竜王が産湯として甘露の雨を降らしたという伝説があります。この甘露は字のとおり甘い露という意味ですが、他に「悟り」という意味で、甘露門、甘露の法、甘露王如来という使い方があります。これには、サンスクリット語から中国語への翻訳が関係しています。

 仏教の経典が、インドから中国に伝わると、まず中国語へと翻訳します。翻訳には二つの方法があり、ひとつは、発音をそのまま漢字にあてはめる音写訳と呼ばれる方法で、卒塔婆や阿弥陀、袈裟などがそうです。もうひとつは、そのことばがどういう意味をもっているのかを調べ、それと同じ意味あるいは似た意味をもつ中国語に置きかえる意訳という方法です。仏教経典にでてくる「甘露」は、サンスクリット語の「アムリタ」の意訳で、ちなみに音写訳は「阿密哩多」となります。

 「アムリタ」とは、インド神話にでてくる霊水をいいます。甘く香気があり、飲むとさまざまの苦悩を消し、寿命を延ばし、死者さえも復活させる力があるとされています。忉利天(とうりてん)という場所にあり、天人たちは常にこれを食し、いわば不老不死をもたらす霊薬のようなものだそうです。このアムリタの効用が、仏教の「悟り」に至る表現のイメージと重なり、アムリタが使われるようになったと考えられています。

 一方、中国古来の伝説で、天地の気が調和すると天が甘い露を降らすといわれ、王者が高徳で善政を行い、天下泰平になったときに甘露が降るとされています。アムリタの意訳として選ばれたのがこの甘露でした。よって甘露は、中国伝説とインド神話の両方の意味をもつ仏教語として日本に入ってきたのです。

 日本では、甘露煮、甘露水、甘露酒、カンロ飴(商品名)など、甘く味付けしたもの、美味であることの代名詞として使われることが多いようです。確かに甘くておいしいものを食べると、疲れが取れるし苦悩もなくなるような気がします。しかし今の日本にとって願うのは、甘露の降る時代が来ることなのですが・・・。


 仏教手習い草紙Vol,103

 血脈(けちみゃく)

 字を見ると、なにか医学用語のように見えますが仏教語です。
 仏教は、お釈迦さまから弟子へ、またその弟子へ、またその弟子へと教えを伝授され今日に至ります。師から弟子へと正法を継承すること、また継承していった図を血脈といいます。まるで身体の血管が、相連なって絶えないことにたとえています。

 仏教は一子相伝のごとく、継承者が決められてきました。しかし時代が経つにつれ、末広がりに分派してゆきます。しかし元をたどってゆけば、最終的にお釈迦さまへ必ずたどりつくのです。

 禅宗の血脈では、お釈迦さまから始まり西天28祖・東土6祖を経て、日本禅宗の開祖へと続きます。開祖からは、各宗派の総本山寺院の歴代住職がトップ僧侶であり継承者ということになっています。

 現在、日本の天台宗では、総本山である比叡山延暦寺の住職が継承者で、天台宗の開祖「最澄」から数えて“第256世座主”になります。よって日本天台宗の血脈には、256人の名前が書かれています。さらに高野山真言宗総本山である金剛峯寺では、開祖「空海」から数えて“第412世座主”にもなります。当然全員が継承者です。

 これまで偉いお坊さんだけ関係していますが、禅宗とくに曹洞宗においては、一般人のお葬式の際に「血脈」が用いられています。が、戒名をつけることは、戒を授けて仏弟子になることを意味しています。もちろん生前授戒した場合で同じです。そのためお葬式で継承図の最後に、故人の名前が記された血脈が棺の中に入れられます。“あなたはこのような系統をたどって仏弟子となった”ということを証明しているのです。なんだか保証書みたいなものですね。

 教えを受け継ぎ、そして受け渡してきた人たちがいたからこそ、仏教が今ここに存続しているのです。この継承は、仏教や宗教に限らず、伝統あるものすべてに当てはまるものです。先人や先祖に感謝し、次の世代へつなぐことが私たちの使命であると思います。


 仏教手習い草紙Vol,102

 南都六宗(なんとろくしゅう)

 日本の仏教には、たくさんの「宗派」があります。独立や分派によって独自に○○宗と名乗っている寺もありますが、基本的な伝統仏教として、十三宗五十六派に整理されています。法相、華厳、律、真言、天台、日蓮、浄土、浄土真、融通念仏、時、曹洞、臨済、黄檗の十三宗とその分派です。今回の題名である「南都六宗」とは、南都は奈良、平城京のことで、六宗は法相宗、華厳宗、律宗、成実宗、倶舎宗、三論宗で、日本最古の「宗派」となります。

 538年(552年とも)日本に仏教が伝わって以来、多くの経本や仏像などが日本に入ってきました。日本も数多くの寺院を建立し、仏教国としての道を歩みだします。奈良時代に入ると、日本から仏教先進国である中国へ渡って修行し教義を学ぶ者や、あるいは中国の高僧が日本に来て布教する数が増えました。

 そこに一つの転機がおとずれます。奈良の平城京近くの大寺らが、寺院ごとにひとつの教義を決めて研究を行い、若い僧たちに講義をしたり修行をさせる場をつくったのです。今でいう大学のようなもので、中国にならい「○○宗」と名乗り、「南都六宗」が成立しました。

  法相宗 - 開祖:道昭    寺院:興福寺・薬師寺  教義:唯識
  倶舎宗 - 開祖:道昭    寺院:東大寺・興福寺  教義:説一切有部
  三論宗 - 開祖:恵灌    寺院:東大寺南院    教義:中論・十二門論・百論
  成実宗 - 開祖:道蔵    寺院:元興寺・大安寺  教義:成実論
  華厳宗 - 開祖:良弁・審祥 寺院:東大寺      教義:華厳経
  律宗  - 開祖:鑑真    寺院:唐招提寺     教義:四分律

 次第に宗の所属寺院が増えてゆき、六宗は拡大していきました。当時法隆寺や京都清水寺も所属していた法相宗は、その勢いがとくに強く、奈良時代を代表する数多くの僧侶を輩出しています。布教しながら田畑、堀、池、橋、宿泊所などをつくる社会事業を行い、東大寺大仏造立に協力するなどの活躍で行基(ぎょうき)菩薩と呼ばれた名僧も法相宗の出身です。

 しかし平安時代になると、新しく開かれた真言宗や天台宗の人気に押され、南都六宗は一気に縮小していきます。成実宗は法相宗の付属として、倶舎宗は三論宗の付属として、さらにその三論宗は華厳宗の付属として吸収されました。こうして日本最初の六宗は三宗となり、吸収された三宗は学問上あるいは歴史上に、その名前を残すのみとなっています。


 仏教手習い草紙Vol,101

 大師(だいし)

 大師とは「偉大なる師」という意味で、中国と日本において、基本的にそれぞれの朝廷や天皇から勅賜(ちょくし)の形で贈られる尊称の一つです。他には国師(こくし)、禅師(ぜんじ)があり、これらの多くは諡号(しごう)となります。諡号とは、貴人偉人の没後に、生前の事績評価に対して贈られる名前で、「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味しています。

 大師の起源はよくわかっていませんが、中国天台三祖の智顗(ちぎ)(538- 597)が「智者(ちしゃ)」の大師号を生前に贈られた記録があるので、起源はそれ以前と考えられています。

 日本では、天台宗開祖の最澄(さいちょう・767- 822)が、没後44年を経た貞観8年(866)清和天皇より「伝教(でんぎょう)」という大師号を贈られたのが最初となります。以来、天皇から大師を下賜されたのは全部で27名いますが、やはり「弘法(こうぼう)大師」が一番有名です。真言宗開祖である空海(くうかい・774- 835)は、延喜21年(921年)醍醐(だいご)天皇より「弘法利生(こうぼうりしょう・仏法を広め衆生に恵みを与える)の菩薩である」と称え「弘法」の大師号が贈られました。

 また、一番多く大師号を贈られたのが、浄土宗開祖の法然(ほうねん・1133-1212)です。1697年に「円光(えんこう)」、続いて1711年の500回忌にあわせ「東漸(とうぜん)」が贈られ、以降50回忌ごとに「慧成(えじょう)」「弘覚(こうかく)」「慈教(じきょう)」「明照(めいしょう)」「和順(わじゅん)」の計7つが贈られています。そして来年2011年1月25日が800回忌にあたり、平成天皇から8つめの大師号を賜ることが決定しています。

 人物だけでなく、通称○○大師というお寺も多数あります。その中でも金剛山(こうんごうさん)金乗院(きんじょういん)平間寺(へいけんじ)はとても有名です、といってもピンとこない方が多いと思いますが、初詣客全国3位をほこる川崎大師の本名です。西新井大師、観福寺大師堂とともに関東厄除け三大師といわれ、いずれも弘法大師が祀られています。

 もう一人「厄除け大師」で有名な人がいます。寺社などでよくみかける1番から100番のおみくじの創始者で、命日が1月3日であることから通称「元三(がんさん)大師」と呼ばれる比叡山延暦寺第18代座主「慈慧(じえ)大師 良源(りょうげん・912- 985)」です。こちらは佐野厄除け大師、足利厄除け大師、深大寺厄除け大師などで祀られています。

 日本で大師といえば、一般的に弘法大師空海を指します。その活躍は筆、寺院建立、仏像彫刻、温泉、湧き水など日本各地にその名を残し、歴史上の空海の足跡をはるかに超えています。故郷四国での仏道修行の遍歴は後に四国八十八所霊場となり、また高野山奥の院において禅定(ぜんじょう)に入ったまま今もなお生き続けているとされ、「南無大師遍照金剛」の称呼によって「生き仏」的な崇拝を集めています。


 仏教手習い草紙Vol,100

 和顔愛語(わげんあいご)

 「和顔愛語」このことばをインターネットで検索したところ、座右の銘や社訓、教訓にしている人が大勢いらっしゃるのです。仏教語だからこそ説得力があるのかもしれません。「和やかな顔と愛のあることば」をもって人に接するということは、よりあたたかい人間関係を築く上でとても大切なことだと思います。

 和顔愛語という言葉は『大無量寿経』の中で説かれています。そこには、阿弥陀仏がまだ仏ではなく、菩薩として修行をしていたとき、生活の心構えとして「嘘、偽り、こびへつらいがなく、常に人々に対して和顔愛語で接すること」とあります。ここで大事なのが、「常に」ということです。自分の衣食住さえ容易に得られないとき、あるいは相手が自分に敵意をもって迫ってきたとき、どんな時も、誰に対しても、自分が正直で和顔愛語で接することができるかどうか、が問題なのです。

 また仏教には実践すべき修行のひとつとして「布施」があります。布施とは金品を施すことを考えてしまいますが、金品はなくとも人に喜んでもらえる、また明るくさせてあげられる布施があります。無財の布施です。ボランティアのように奉仕することも大切ですが、誰にでもすぐ始められて、誰に対してもできるのが和顔愛語です。相手の立場をおもいやり、やわらかな表情でやさしい言葉で語りかけるのです。しかも布施の修行だから見返りを求めてはいけません。しかしほとんどの場合、相手の警戒心もなくなり、逆に和顔愛語でかえってくることでしょう。

 和顔愛語は布施であり修行です。しかしそれ以前に、人間社会に生きるひとりの人間として、生活する為の最も基本であると思います。無財無力の私にでもできる施しと思い、和顔愛語を心がけたいと思います。

 仏教手習い草紙Vol,99

 散華(さんげ・さんか)

 お寺の法要中に、お坊さんが色とりどりの紙を撒くことがあります。五百羅漢寺でもお盆やお彼岸などの法要で撒いています。これは「散華」といい、名前のとおり花を散りばめること、あるいは散りばめた花を指したことばです。

 散華とは、お経を唱えながら花を散りばめて道場を清め、仏さまをお迎えしようとする作法で、「仏や菩薩が来迎した際に、讃嘆(さんたん)するために天の神々や天女によって華を降らした」という故事にちなんで行われます。本来、本物の花びらが撒かれていましたが、現在はハスの花をかたどった色紙を用いています。濁った池の中から咲く可憐なハスの花は、インドで紀元前より聖なる花としてたたえられ、仏教の思想とも調和し多く使われています。お仏壇の仏像をよく見ると、仏さまは巨大なハスの花の台に乗っていることからも、大切な花だということがわかります。

 法事で撒かれる散華は、一般的に何十枚程度ですが、総本山、大本山といった大きなお寺で、たくさんの僧侶が集まるような大法要のときには、山門の上や屋根のような高い場所から、それこそ何千枚も撒きます。キラキラと日の光に反射し輝きながら舞い落ちるその風景は、まさに「荘厳浄土」ということばでしか表すことができません。

 また散華はお寺によって多種多様の模様があり、美術品としてや思い出のひとつとして収集している人も少なくありません。その寺独自でデザインされたり、著名な画家や書家に書いていただいたり、あるいは鑑賞用のためだけに作られた金粉銀粉をあしらった豪華な散華もあるほどです。最近ではドラえもんやアンパンマンなどの絵もあるようですが、やはり極楽浄土の様子を描いたものが多いでしょう。

 現在、五百羅漢寺の寺務所前の廊下には、散華が飾られています。お檀家さまの一人が観音霊場を巡礼し、各お寺で記念にいただいた散華を大事に保管、見事に百観音霊場満願した証として、額に飾り奉納されたものです。ちなみに法要中に撒かれた散華は、持ち帰っていいことになっています。極楽浄土から持ち帰ったお守りとしていかがでしょうか。

 仏教手習い草紙Vol,98

 不動明王(ふどうみょうおう)

 仏教には「明王」と呼ばれる守護神がいます。五大明王や八大明王の他に、孔雀明王や愛染明王などが有名です。その中でも中心的存在なのが「不動明王」です。梵名「アチャラ・ナータ」といいアチャラは「動かない」、ナータは「王、守護者」を意味し、不動尊、無動明王などとも漢訳されています。

 不動明王の特徴は、やはり何といってもあの恐ろしいお姿です。右手には魔を退散させ煩悩を断ち切るという利剣を持ち、左手には羂索という悪を縛り上げ人々を救い上げるひもを持っています。左目は閉じ、右目はにらみつけるように見開き、口は「へ」の字にして牙をむき出し、下の歯で上唇をかんでいます。足下には磐石という堅くて大きな岩に乗り、火炎の中に住み、煩悩を焼きつくすという伝説の火の鳥カルラを模した迦楼羅焔(カルラえん)を背負っています。

 実は不動明王は、大日如来の使者あるいは化身であるとお経に説かれています。仏法に従わない者や仏法に敵対する者には、ときには脅すように、ときには力ずくで教え諭してゆきます。しかしそのお心は、人々を救済しようとする厳しくもやさしい慈悲に満ちております。ちょうど悪いことをした子をしかる親のごとく、正しい道へと導こうとしているのです。そのためか、地元の人々からは「お不動さん」と親しみをこめて呼ばれています。

 また昔から不動明王へお参りしたご利益は大きいとされています。厄難を滅し大願を成就する威力がとても強く、とくに炎の神力を以て祈願を行う護摩を焚く法要には、たくさんの人々がお参りされます。

 仏教手習い草紙Vol,97

 正念場(しょうねんば)

 その人の真価を問われる大事な場面、あるいは重要な局面のことを正念場といいます。このままいつもの流れであれば、正念場は仏教語です、というところですが、今回はそう言い切れません。キーワードは「正念」です。

 お釈迦さまは、悟りへ至るための基本的な生活の教えとして、八正道(はっしょうどう)を説かれました。それは、

 正見(しょうけん) 正しく見ること
 正思(しょうし)  正しく考えること
 正語(しょうご)  正しい言葉を使うこと
 正行(しょうぎょう)正しい行いをすること
 正命(しょうみょう)正しい使命をもつこと
 正精進(しょうしょうじん) 正しい努力をすること
 正念(しょうねん) 正しい心を持つこと
 正定(しょうじょう)正しい状態を保つこと

の八つです。ここでいう「正しい」とは、損得を考えるような私たちの判断を超えて、仏教をよりどころとした真理を基準としています。よって正念とは仏教語であり、邪念雑念を払って悟りへ至ろうと常に思い続けることをいいます。

 さて話をもどして正念場ですが、もし仏教語の正念からきたことばだとすると、一瞬一瞬が常に正念場でなければならないはずで、現在使われているような、たくさんある中でここぞという大事な場面をさす意味とは少し異なります。

 これとは別に歌舞伎や浄瑠璃用語で、性根場(しょうねば)ということばがあります。辞書で見ると、主人公がその役を発揮させる最も重要な場面、正念場ともいう、とあるのです!そうです。正念場は歌舞伎から由来しているのです。性根場からどのように正念場へ変化したかはわかりませんが、字だけが仏教語という不思議な現象をもつ珍しいことばなのです。

 仏教手習い草紙Vol,96

 菩提樹(ぼだいじゅ)

 十二月八日、明星輝く夜明け前のこと。インド北東部「ガヤ」の町から南へ十キロほど下ったあたり、ネーランジャヤー河(尼蓮禅河・にれんぜんが)の岸にそびえたつピッパラという木の下で、一人の修行者が「ボーディ」(菩提=悟り)を得て「ブッダ」となられました。そうです、お釈迦さまです。これゆえに、この土地は「ブッダ・ガヤ」と名付けられ、ピッパラ樹はボーディ(菩提樹)と名付けられました。

 サンスクリット語でピッパラと呼ばれたこの木は、学名Ficus religiosaインド原産クワ科イチジク属の植物で和名「インドボダイジュ」といいます。成道(悟り)の木として、誕生のムユウジュ(無憂樹)、入滅のサラの木(沙羅双樹)とともに、仏教の三大聖樹とされています。和名が「ボダイジュ」ではないのは、日本に入ってきた時、すでにボダイジュという和名を持つ植物があったからです。その植物は中国原産シナノキ科シナノキ属の落葉高木で、日本の寺院などで菩提樹として植えられている木は、一部を除きほとんどがこの木です。宋に修行に渡った日本臨済宗の祖・栄西がその種子を持ち帰って植えたものが広まってゆきました。残念ながらインドボダイジュは、日本においては菩提樹であってボダイジュでなく、しかも熱帯性のため日本の屋外では越冬できないようです。

 また菩提樹の数珠というのがあります。これもまぎらわしいのですが、インドボダイジュの種子は二ミリ程度の小粒でしかなく、とうてい数珠にできるような代物ではありません。菩提樹の数珠として売られているものは、インドジュズノキやジュズボダイジュという木の種子で、星月菩提樹、天竺菩提樹、金剛菩提樹、鳳眼菩提樹などが有名です。

 お釈迦さまが成道された時の菩提樹は、五世紀頃、仏教弾圧に見舞われ切り落とされてしまいました。現在同じ場所に植えられているのは、その菩提樹の孫となる木をスリランカから移植されたものです。

 仏教手習い草紙Vol,95

 鎮護国家(ちんごこっか)

 鎮護国家とは、政府が仏教を利用して内政の安定を図ろうとした政策をいいます。日本に伝わったお経の多くは、災難を取り除き幸福を招くとしています。そのためお経のマジカルパワーを取り入れ、仏教を国家の守護・安定させる基盤にと考えたのです。とくに「妙法蓮華経(法華経)」「金光明最勝王経」「仁王般若経」の3つは鎮護国家の三部経と呼ばれ、「法華会」「最勝会」「仁王会」が天皇の名において行われる勅会として定期的に営まれ、国家や皇室の安泰を祈願されました。

 仏教は五三八年(あるいは五五二年とも)欽明天皇のときに伝来し、仏教を取り入れようとする蘇我氏と反対する物部氏が対立、武力をもって物部守屋を滅亡させたことにより決着します。その後、馬子によって本格的な伽藍を備えた半官庁的な氏寺・飛鳥寺が建立され、また四天王寺・法隆寺の建立でも知られる聖徳太子が馬子と協力しつつ、仏教的道徳観に基づいた政治が行われました。

 奈良時代には、鎮護国家の思想のもと諸国に国分寺が設置され、総国分寺となる東大寺の大仏建立、鑑真招来による律宗の導入、平安時代には天台宗や真言宗、鎌倉時代には浄土真宗や日蓮宗などが誕生し導入されていきました。その一方で、政府や朝廷にかかわる僧や寺、宗派の権力が強大していたのも事実で、高僧の流罪の刑や、織田信長による比叡山焼き討ちという有名な事件もありました。

 このようにわが国の仏教は鎮護国家の仏教としてスタートを切ったため、時代による差はあるとはいえ、つい最近まで世俗の権力の中に仏教が存在していたのです。このことは、わが国の仏教史を考える上で、見落とすことのできない重要なポイントとなります。

 仏教手習い草紙Vol,94

 初転法輪(しょてんぼうりん)

 インドのベナレス郊外にあるサールナートは、お釈迦さまが初転法輪を行った場所で、生誕地のルンビニー、成道地(悟りを開いた)のブッダガヤ、涅槃地のクシナガラと並び、仏教の四大聖地の一つに挙げられ、現在も仏跡巡拝者で賑わっています。

 「初転法輪」の輪という字は、チャクラのことをいいます。チャクラとは古代インドで用いられた武器の一種です。真ん中に穴のあいた金属製の円盤で外側に刃が付けられており、回転させながら投げて相手を斬るという、いわば円盤型手裏剣といったところでしょうか。法は正しい教えのこと、よって「法輪」は正しい教えを武器として、「相手の心の迷いや煩悩を斬って取り除くことができる正しい教え」を意味しています。転は転ずること、「転法輪」とは法輪を相手に投げることにより、「正しい教えを伝え、迷いや煩悩を取り除き、人々を教化すること」をいいます。簡単にいうと説法、伝法、布教といった意味です。

 すなわち初転法輪とは、初めて転法輪をしたこと、つまり初説法を行ったことをいいます。とくに仏教を説いた偉大な功績により、現在では「初転法輪」ということば自体が、お釈迦さまだけに使われることばとなっています。

 お釈迦さまは悟りを開き、仏陀(真理に目ざめた人、覚者)となられた後、一生涯をかけて仏教を人々の救済のために布教を行いました。その第一歩として、かつて修行を共にした五人の仲間に対し、鹿がたくさんいる草原(鹿野苑…現在のサールナート)において、チベット暦の6月4日(新暦の8月上旬頃)初めて教義を説いたとされています。

 現在サールナートには初転法輪寺があります。その中には日本人の野生司香雪が描いた釈尊一代記の壁画や、お釈迦さまと五人の弟子、法輪、鹿が配置された五世紀頃の作と考えられる仏像があります。

 仏教手習い草紙Vol,93

 七難(しちなん)

 七難(しちなん)八苦(はっく)ということばがあります。七難と八苦、どちらも仏教語というこのことばは、さまざまな苦難という意味で、試練や障害などを乗り越えるときに使われます。八苦とは四苦八苦のこと、ですが今回は細かい説明を省略いたします。「七難」については、複数の経典によって説かれていますが、その内容が異なっているため、ここでは『観音経(かんのんぎょう)』と『仁王(におう)経(きょう)』を紹介いたします。

 『観音経』の七難とは、①火難 ②水難 ③風難 ④刀杖難(武器)⑤鬼難(悪霊)⑥枷鎖難(拘束)⑦怨賊難(犯罪)。

 『仁王経』の七難とは、①日月集塵難(太陽や月の異変)②星宿失度難(星の異変)③災火難 ④雨水難 ⑤憩風難 ⑥亢陽難(日照り)⑦悪賊難(犯罪)。

 火や水や風の難、悪霊、犯罪、太陽や月や星の異変、日照りなどがあげられていて、他の経典では疫病、日食月食、侵略、内乱などもあります。難とは「わざわい」です。わざわいは、人を不幸にさせるものです。避けられるものなら避けるべきシロモノです。ところがわざわいは突如として降りかかります。

 そこで救いなのが、どの経典も仏法の力によって七難を消滅させることがきる、という共通点があります。『仁王経』では、「七難即滅七福即生」として、お祓いをすると「七難が消滅され、七福がもたらされる」と説明しています。さらにこの句から生まれたのが、わざわいとは縁のない「七福神」というのが有力な説です。

 「色の白いは七難かくす」ということわざがあります。女性は肌が白ければ多少の欠点は気にならない、という意味ですが、ここで使われている七難は、七つのわざわいではなく、多少の難点欠点であって、仏教とは無関係とされています。

 仏教手習い草紙Vol,92

 法爾自然(ほうにじねん)

 聖僧のほまれ高い比叡山西塔黒谷の慈眼房叡空(じげんぼうえいくう)上人は、十八歳になる弟子の少年僧に並々ならぬ決意を感じ取り、「少年の身で早くも菩提心(悟りを求める心)を起こした。まことにこれは法爾自然の僧である」とほめたたえ、法爾自然の最初と最後の字をとって少年に「法然房源空(ほうねんぼうげんくう)」という法名を与えました。そう、これが浄土宗の開祖である法然上人の名前の由来です。

 法爾自然は、法爾と自然の二つのことばから成り立っています。このうち自然は一般によく使われていますが、法爾ということばは一般に使われていません。法爾とは法に爾(しか)り、つまり「法則にのっとって、そのようになっていること」です。自然は「しぜん」というと、山川海草木花雨風などがすぐ頭の中に浮かんできます。これは明治時代に英語のネイチャー(nature)の翻訳語として「自然」が用いられたことによります。もともと「じねん」といいます。自(おのずか)ら然り、つまり「おのずからそのようになっていること」です。

 法爾と自然、どちらも同じような意味をもつことばを併せ持った法爾自然とは、意図的な作用が働いていない万物大自然のありのままの姿、をいいます。

 仏教手習い草紙Vol,91

 不退転(ふたいてん)

 政治家や相撲の関取が、「不退転の決意で・・・」と言うのを時々耳にします。志を固く保持し、決して屈しない決意という意味で使われていますが、これは仏教語としての本来の意味からは、少し離れてしまった感じになります。

 不退転は、サンスクリット語の「アヴァイヴァルティカ」の訳で、不退、無退とも訳されています。仏教でいうところの「退転」あるいは「退」とは、「仏道修行を怠ったために、初めのほうや悪いほうに後退すること」です。よって不退転の意味は、怠らずに修行し後退しないこと、と考えられますが、実はそうではありません。怠らずに修行したことによって入ることのできた、「もはや後退することがなくなった境地」を指したことばなのです。

 仏道修行の過程で、初めのうちは身につかなかったりふらついたりするものですが、キチンと修行していくと、ある時点からはふたたび後退することのない境地に達するというのです。これを不退転、あるいは不退の位、不退転の境地などといいます。ある時点とはどの段階を指すのかは経典によって様々ですが、かなり上級の地位のようです。

 私たちの身近にも、ちょっとした不退転の境地が隠れています。スポーツなどを例にとっても、基本をマスターしていないうちに、サボったりやめたりするとすぐに忘れてしまいますが、基本をきちんとマスターしていたならば、長い間やっていなくても体が覚えていて、自然と体が動いたりするものです。不退転です。

 仏教語は時として、悪い意味に転じていくことが多い中、不退転は、屈しない、常に努力を怠らない、熱心に励むなど、いい意味のまま変化したことばといえます。

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